水筒の「きれいなキズ」。

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ある朝、息子が言いました。
「この水筒のここのとこ、きれいだねぇ。」
ん?どこがきれいなの?と見てみると、息子が指さしているのは水筒がこすれてできたキズの部分。
「ぶつかったら、中からキラキラするところが出てきたんだよ、きれいだねぇ。」
塗装が剥げて、中の金属部分が露出したところを、きれいだと言っていたのでした。
その時、なぜでしょう、何だか妙に、すごく、グッときたんです。
水筒についたキズをきれいだと思ってみたこともなければ、
きれいかどうか自体そもそも考えたことがなかった。
息子から見てみれば、
雨上がりのクモの巣の、水滴がキラキラするのも、きれい。
コガネムシの背中も(私は無脊椎動物大の苦手なので怖いとしか思わないのですが)、きれい。
雨に濡れたすべり台は、お尻がヒンヤリベチャベチャに濡れて気持ちいいオモシロすべり台。
雨の日の自転車は、青いお気に入りの雨がっぱを着て乗ることが出来るから、晴れの日と同じくらい楽しい・・・。
子育てにおいて、子どもの性格に対する『リフレーミング』が大切、とよく言います。
落ち着きがない=活発
消極的、ビビってしまうタイプ=慎重
などなど。
悪い部分にも、いい側面がある。
長所と短所は紙一重なのだから、両方を見てあげたほうがいい、と。
今回は、
なんというか・・・
息子の視点を通じて、「世界」を『リフレーミング』した気分です。
息子が歩いた時にできた水筒の「きれいな傷」は、
息子が使った、世界でたった一つの水筒である、かけがえのなさそのもの。
お母さんも、水筒をきれいだと思ったよ!と息子に言いたい!
子どもたちを通じて眺めると、この世界は、なんと素晴らしいんだろう!と思いました。
ささやかな、日常の楽しみ方ですね。
息子に感謝を込めて―。