バイヤス、とは、もともと「偏った」とか「斜めの」という意味ですが、
簡単に言えば≪偏見≫という言葉でも置き換えることができるでしょう。
何度もこのブログにも書いてきていますが、例えば「正常性バイヤス」だったら、何か台風などが怒った時でも「きっと大丈夫に違いない」と思い込んでしまうような偏見の在り方。人それぞれ、このバイヤスが何かしら存在していて、程度も様々です。
アメリカの人気医療ドラマを見ていても、「外科医はすぐにオペするバイヤスを持っている」とかいったセリフがポンと自然に出てきたりして、最近日常会話の中でもアメリカにおいては広範な使用がされていることに気が付きます。
コロナにおいても、人は簡単にバイヤスを持ちがち。
「罹る人は夜遊びをしているに違いない」とか・・・
その偏見は本人にとっては「普通」であるからこそ、厄介ですよね。
どこまでが正論で、どこまでが偏見なのか。
身近な人のことすら、罹患が原因でそれまでの関係を維持できなくなってしまったり。
逆に、「この発言はコロナハラスメントにあたるのではないか?」と意識するあまり、身近な人に対してすら「叱る」ことができなくなったりすることも。
さまざま。
「普通」って、誰が決めるんでしょう。
とにかく、もうすぐうちの父もワクチン接種ができます。大切な家族の「生死にかかわる」不安が和らぐにつれて、ぎすぎすした人間関係でもまた、もつれた糸もほぐれていきますように。