貧しい、とは何か。
好きな洋服が買えない、とかではない。
私は、「ひもじい」ということが貧しさのボーダーラインだと思っています。食べるものがない、ということ。
日本には貧困が潜んでいるという分析や、軒並み倒産する飲食店などのニュースもあり、実際切迫した状況下にある人も多い。
勤め先の飲食店が営業時間短縮や閉店などで収入がなくなり、次の仕事先が見つかったものの食費に宛てられるお金が今までの半分になったほど収入減というシングルマザー。保育園も閉演していた間に子育てのため休職せざるを得ず、貯金を切り崩した生活が尾を引いたまま収入源の生活。自分の夕食を削ってまで子供の昼ご飯代に充てて、小学生の子供を自宅待機させて出勤した親御さん。いろいろなケースがあり、いろいろな経済苦がある。
こういった、ひもじさとも隣り合わせな生活の苦しさが、コロナによって生み出され
コロナ感染者に対する敵意となってあらわれてしまうんだろうな。
恐怖だけじゃない、怒りなんだな。
ひもじいことは、こわい。
どうか自分の抱える恐怖が、怒りとなって誰かを傷つけませんように。
人と共に生活できる日常を愛したまま、コロナ禍を乗り越えることができますように。