五月の晴天が、一年で一番好きです。
普通の1日が幸せだなぁと感じる今日。
さて
では、普通ってなんでしょう?
人は、自分の「普通」という概念を、周りの意見に左右されやすい。
例えば、明らかに◯に見える図を、「何に見えますか?」と尋ねる質問。
被験者を、Aさんとしましょう。
周りが「◯に見える」と答えている間は、
Aさんも自信を持って「◯に見える」と答えますが、
周りが(本当は◯に見えるんだけれども実験的に)△に見えます、と答え始めると…
△と答える人の割合が増えるに従い、
最初は「△と答えた人が不正解なんだ」と自信満々なAさんも、
最後に自分だけが「◯に見える…」と答え続ける状況では
「もしかしたら自分が不正解なのかも?」と自分を疑い始めます。
周りが違う回答の場合、
自分と異る回答の人がどのくらいのパーセンテージの段階で
自分の回答を周りに合わせるのかは、個人差がありますが、
「絶対に自分が正しいはず」と頭の中で考えてはいても、
「普通はこうなんだ」という概念は
割とすぐにゆらいでしまうものなんですね。
例えば海外と日本の「普通」の違い。
同じ日本でも、地域ごとの慣習の差異。
年齢層による世代間ギャップ。
男女の差。
「普通はさぁ!」なんて、
日常会話でもケンカのときでも口をついて出がちな言葉ですが、
これはあくまで、
自分の価値観を唯一の正解と認識した前提のもの。
あくまで「自分が考えるところの 普通 では…」「少なくとも私自身の価値観では…」くらいのスタンスでいた方が
よりたくさんの価値観に触れ、柔軟に人を理解することができる気がします。
年齢を重ねるにつれて、
自分の価値観と異る「普通」を
受け入れにくくなる気がするなぁ、なんて
とりとめのないことを、考える夜です。