村上春樹さんの著作、海辺のカフカをたまたま再読していると、アリストテレスについて触れる文章が。
用いられていたのはこんな説です。「悲劇は、皮肉なことに当事者の欠点ではなく美徳を梃子にしてもたらされる」。
ギリシャ悲劇のなかで扱われることが多いモチーフに、「人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ」という根本的な世界観があります。だからこそ、人生はアイロニックなのだ、と。海辺のカフカの中では、『オイディプス王』を例に挙げ、オイディプスの怠惰や愚鈍さによってではなく、勇敢さと正直さによってこそ、彼に悲劇がもたらされたと論じられています。
ひとは、往々にしてそういうものなのかもしれないとハッとしました。机上の空論になりがちな哲学のいわゆる「定義」において、
「自分自身の中に宿る価値観によって『こうすべき』という主義的なものが生まれ、それを遂行しようとすると、苦しくなる」。その意味において心理学もまさに同様のことを「定義」しているなぁ、と。
完璧主義がまさにそれに当たります。「こうすべき」「こうあるべき」が、結果的に自分をまず苦しめる結果を生む。よかれとおもったことが、苦しみを生む。人って、難しく、厄介で、なんて愛おしい矛盾を抱えているんでしょう。
「自分はこうあるべき」という、一歩背伸びした自分の肯定、ではなく、人を癒すスタンスは「こうあるべきと思ったけど出来なかったとしてもそれでもOK」とでもいうような、ありのままの自分の肯定が必要だと常に感じています。あなたはどうでしょう。
自分についてのOKというボーダーライン設定を、背伸びしすぎていませんように!