コロナウィルスと、父のこと。

A6EC0105-2962-44A2-A132-DCE9035EB1BE

現在家族と暮らしている飛騨高山では、今日(2020年4月9日)現在の情報を見る限り、市内の感染者はゼロ。とはいえ、連日のニュースで「明日は我が身」をひしひしと感じる毎日です。

高山市は観光地。ついほんの先日まで、遊びに行く近所の公園の無料駐車場には他県ナンバーがみられました。いつ、感染者が出てもおかしくないという現状。4年制大学がない市でもあり、今回の政府の決断による反動で「帰省」する若者が出れば、そこから感染者が増えるかもしれない。

どこの街でもそうだと思いますが、「明日が確かではない」。と同時に、潜伏期間なども含めて想像すれば、「今日だって、確かなことはない」のですよね。

忘れていけないのは、日本は高齢社会です。飛騨高山なんて、さらに輪をかけて高齢者の割合が極めて高い。コロナウィルスに感染した場合の死者数は、…想像もしたくないほど。

かくいう私の父は、88歳。実は孫からうつった通常の風邪をこじらせ、1月と2月に肺炎になり入院した経緯があります。子供や私が1日で治るような風邪ですら、その状態です。もともと肺気腫を患っているため肺機能が低下しており、肺炎は血中酸素濃度が低下してしまうため、とても危険。また今回の2度にわたる肺炎の治療で、現在もステロイド薬を服用しています。つまり、風邪にしろ何にしろ、免疫力がステロイドによって低下しているため、かかりやすい、治りにくい。さらに、ステロイドの副作用によって、糖尿病も発症。(おそらくごく軽度の糖尿病があったのですが、それが重度化しているのが現状)。

これらを思えば、娘である私にとってもコロナウィルスに対する恐怖は、ものすごいものがあります。絶対、父にかからせちゃいけない、私も他の家族もみんな、かかっちゃいけない。エゴだと言われようとも、国民の半数がかかる予測がされているのならば、父は、かからない方の半数に入ってほしいと、切に祈るばかり。そのための努力は、なんでもする、と。

玄関には、勝手口も裏玄関にも空間除菌剤を設置。父の部屋も当然設置。子供のマスクは売ってないから手作り。ハンド用消毒ジェルもそうです。売ってない。エタノールすら。だから強いウォッカを使って手作り。

誰かが我が家に来た日はもちろん、そうでない日も毎日「キッチンブリーチ剤5ミリリットルを500ミリリットルの水で希釈した」という消毒スプレーで除菌掃除。扉の開け閉めで触る部位、電話機、スマホなど。どこへ行くにもマスク。そして、玄関にお客様がいらっしゃるときも、マスクをつけて応対。買い物には極力出ないよう、いろいろ工夫。

感染者がまだ一人もいない高山市で、これは異常でしょうか?いえ、だって、「掛かったら父の命が奪われてしまうかもしれない」という可能性を、ゼロに近づけるための努力なら、全力でやってしかるべきでしょう。それが私の価値観。

 

高山市では、今のところ小中学校も休校、幼稚園は登園ができる状態。ただ、下の子が通う幼稚園も、園児にマスクをさせるよう義務付けてくださるなどをはじめとした細やかな対処をとってくださっているとはいえ、自主休学も想定しなければいけないか、と悩んでいます。

 

どこまでやったら安心できる?おそらく、どこまでやっても安心などできないのでしょう。

どこまでで、良しとするか。

人それぞれ過ぎて、その振れ幅には驚くほど。

自己管理能力、危機管理能力、状況想定能力、様々な意識が試されていますね。

あとあと自分が後悔しないよう、今を生きよう、つまりはそういうことなのかもしれませんね。