幼稚園に入園したての頃、息子が一輪のツツジの花を「お母さんにプゼレント」(プレゼントの意味。)と、持ち帰ってくれたことがありました。よく話を聞いてみると、摘んだのではなく「まだキレイに咲いているのに道路に落ちていて、そのまま誰かに踏まれたりしたら可哀想だと思ったから」というのです。
この背景には二つの思いやりが存在しますよね。
1、お母さんは花が好きだと知っていて、喜ぶお母さんの気持ちを想像した。
2、道路で踏みつぶされそうになっているお花さんの気持ちを想像した。
「優しい子」であることは、つまり、誰かの気持ちに寄り添うことのできる、ひとつの「能力」を意味すると私は思っています。わんぱくでわんぱくで困ったちゃんのうちの息子の心の中にそれが育まれてきていることは、飛騨高山の環境の賜物であるかもしれないと感じます。
あるフリーペーパーのキャンプ情報誌が行ったアンケートで、自然体験(キャンプなど)を活発に行う家庭の子供について、親は子供を「優しい子だ」と感じるパーセンテージは90パーセントを超えているという結果が出たのだそうですよ。
山の中で目にする自然は、一見穏やかに見えて過酷なものです。その中でたくましく咲く小さな花。あちらこちらで飛び交う虫の生命力。ハイキングでも子供たちは、やたらに花を手折ってはいけない、虫を興味本位で殺してはいけない、と教わります。家の中では「刺したら危ないから」とパチンとやられてしまう小さな蜂も、大自然の中では花の蜜を巣に運び、またそれと同時に花の花粉を花から花へと運んで花の役に立っていると知ります。草花、昆虫、動物、全ての生命が互いに助け合っていることを学びます。
興味本位で命を扱ってはいけない。
自然への畏怖は、多くを学ばせてくれることでしょうね!
自然の中で出会う花、昆虫、動物、すべての生き物は実に多様性に富んでいます。「面白い」と、思う好奇心。それは、きっと人対人のつながりにおいても、「友達の〇〇さんはどんなことが好きなんだろう?」といったような興味に繋がり、自分と違う趣味であっても、自然の中で多様性を柔軟に受け入れ理解することを経てきた子供たちは、他人が持つ多様性にも寛容になっていけるのではないでしょうか。
そして、そうやって培われた寛容さこそが本当の意味での、やさしさだと言えるのではないでしょうか。