おめでとう!1歳の誕生日。
一升餅を背負わせてみたり、初めてのお誕生日で家族全員でお祝いしたり。
一年間の成長とともに、改めて赤ちゃんがこの世に生を受けたことの喜びをかみしめる時期。
娘の場合、「選び取り」は、最初に電卓→お札、とえらんだため、
じぃじは「お、こりゃ、将来銀行員やぞ!」と満面の笑みを浮かべていました。
赤ちゃんの将来に思いをはせる。
「こんな子になってほしい」と願う。
そんな純粋な祈りについて、実は警鐘を鳴らしているのは
ベルトラン・フラメール著作「ママと赤ちゃんの心理療法」。
前回のブログにも書いたように、赤ちゃんはママや周りの家族の表情をこまやかに認識します。
だからこそ、言語を超えたコミュニケーションが故に、赤ちゃんは母親のトラウマなどを代弁すること
になる、というのです。
例えば「祖父に似ている」と言われた男の子は、祖父が好かれていた存在であれば似たしぐさをすると
喜ばれ、逆であれば眉を顰められて育つ、ということ。
それらは善悪や一般的な社会常識とイコールであることもそうでないこともあるがゆえに、独特の
価値観を赤ちゃんは心の中に形成していく可能性をはらんでいる、というものです。
こういったケースは、もともと赤ちゃん自身が持っている意志とは反しているがゆえに
「なぜか赤ちゃんとの意思疎通がうまくいかない」「ママに反抗ばかりする」といった悩みを生むことも。
細やかな個々人のカウンセリングなどで、もちろんケアしていく必要があり、決して『一般論』には
できないことですが、要は、赤ちゃん自身の性格や意志を、何の先入観や偏見も持たずに見守ってあげる
姿勢がとても大切です。
「こうなってほしい」という本来純粋な愛情からくる願い、祈りが、よくない方向に働かないように、
少し意識しておく必要があるのかもしれません。