先日娘が、4歳の誕生日を迎えました。
一緒に手作りした誕生日ケーキを食べながら、娘はこう言いました。「4歳になるの生まれて初めてだから、ドキドキする!」。なんて可愛いの!と親バカ丸出しで胸がキュンキュンした後、ふと思ったのです。「生まれて初めて〇才になる」。これは老いも若きも子供も大人もみんな同じじゃないか!と。
生まれて丸4年が経ったばかりの娘には、確かに初めての経験が目白押しです。先日は生まれて初めて『生マシュマロ』を食べ、『マカロン』を食べ、今度の夏には初めての海水浴に連れて行ってもらう約束。
そんな初めての経験が歳と共に少なくなるからでしょう。「すっかり、生き慣れたつもりでいた」とでもいう感覚。
慣れていれば生きることが上手かと言えば、そうでもありませんよね。私たち大人は、後悔もしがちです。「あの時ああしてたら、もっと幸せだったんじゃないか」「あの時こうしていたら、きっと・・・」など反実仮想をする知恵を持った代わりに、無邪気に自分の毎日を肯定し続けることが困難になりました。毎日最高!と言う人は、きっと少ないですよね。時々誰しも、振り返る。そして「いや、きっとこれでいいのだ」と肯定して前を向いて歩いていく、そんな毎日。
考えてみると、私はまだ宇宙に行ったことがありません。どうしても再会したい大切な友がいます。新しく出会う人たちも、きっと宝物になる。そしてまだ、やってみたい仕事がある。未知の経験に満ち溢れています。そして何より、「初めての40歳を生きている」。
娘と同じように、こう言いたい。40歳になったの、生まれて初めてだからドキドキする。
実際40歳の誕生日を迎えた時思ったのは、「40代はエルメスの似合う女性になりたい」と言う憧れでした。実際にエルメスをどれだけ手にできるかは別として!(笑)こういう雰囲気でありたい、なりたい、という理想です。
そして60歳には、シャネルの似合う女性になりたい。
40歳は不惑、と言いますが、惑ってばかりの毎日で、さらには人と比べてしまう焦燥感も生まれる年代なのだそうです。
もともと、心理学でも実際の研究にて、人間の幸福度は比較対象によって左右される、ということが実証されています。
完璧に「見える」人と比べれば、自分は不幸なのではないかと思ってしまう。
では、残念に「見える」人と比べて優越感を持って生きればよいのか?
いえ、私は児童の心理学を学ぶにつけ、こう思います。
「昨日の自分と比べればいい」。
子供の発達がそうだから。周りの子供と比べると、「〇〇さんの家の●●ちゃんは、英語で100点取ったんですって。うちの子は70点。」と、叱ってしまいそうになります。でも、前回60点だったのが70点になれば、それはやはり褒める方が得策。
自分に対してもそうであれば、幸福は揺るがないのかもしれません。まだ後悔や妬み、優越感も知らない幼い娘の、無邪気な笑顔に学ぶ今日です。