毎日のこと。

新型コロナウィルスにまつわる様々な情報が溢れ、自分がどう思うべきなのかすら実のところなかなか定まらない。

「きっと大丈夫だし」などと言っていたい気持ちもあれど、イベントに出かけて、一人の感染者からたった2時間で10人近い感染者を出したというニュースを見れば、悠長なことなどもちろん言っていられないのだ、と思う。

小中高校などの休校で、突然その日が「最後の登校」になった卒業生たち。友人にも、卒業を控えた子供を持つ母親が多くいて、その心の様子が垣間見られるSNSには胸が痛くなります。一方で、平日昼間に都心部に出向く中高生たち、という見出しのニュースも。一気に広がる感染を食い止める意味での休校(罹患率が急上昇しないための措置)なのに、親御さんは止めないのかな、とかいろいろ想像して「母親としての普通の意見」というものも正直分からなくなるのが現状。

普通、というのは多数決ではありません。

多数だから普通、でもない。それは、トイレットペーパーどころか生理用品、キッチンペーパーまで買い占めに走る人が「多い」のと同様。多いから、普通、ではない。

普通の毎日、という表現をした時、なんとそれが曖昧で壊れやすいのかにハッとする瞬間があります。今回のように普通が見えなくなる時や、はたまた日常が突然変わってしまう事態に遭遇した時。地震、津波、事故、病気、様々。

そんなふうに心がざわつきながら過ごしていた昨日、こんな本が贈られてきました。

 

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特定失踪者問題調査会から送っていただいたものです。私の叔父は、北朝鮮の拉致による特定失踪者です。この本の中には、叔父をはじめ、すべての特定失踪者の方々の、失踪した状況や、それとともに、どんな人物だったか、も記載されていました。英語が得意だった、やさしくいつも微笑んでいた、など。それを読みながらこみ上げる涙。拉致被害者の家族も高齢化する中で、御骨さえ帰ってこない家族のことを、どんなに忘れたくないのか、どんなに忘れないでいてほしいと願っているのか。突然失われた家族が、本来歩むはずだった幸せな未来を、ご両親は何度思い描かれたことだろう。もしも、再会できる「次の機会」があることなら、と何度願われたことだろう。

3.11.も然り。次の機会が、きっと持てると信じられれば、頑張れるのに、と苦しんだ方も多いはずですし、次の機会がきっとあると実際信じられ頑張れたのだというた方も多いはず。

様々なことが中止や延期になっている。卒業式、修学旅行でさえも。ある親御さんが娘さんについて「修学旅行は中止になっちゃったけど、友達ときっといつか旅行に行って、思い出を作っておいで」とSNSに綴ってらっしゃった。

前を向く、とは、こういうことなのかもしれないな。

一見ポジティブにも見えるような「新型コロナウイルスなんかに負けないぞ!きっとかからないから人ごみに出かけても大丈夫!」という考え方は、決してポジティブではなく、目をそらしているに過ぎないのかもしれません。

考えない、のではなく、冷静に考え、判断する。

精一杯考えたうえで

ただ、強い心で「次を、信じる」。

今大切なことはそれなのかなぁ、と。

 

うまく言葉にできない心のもやもやをドッと書いてみました!