ご生前の頃、市原悦子さんが講演会にておっしゃられていたことがふと思い出されます。
「私、一日ひとつは、何かを捨てるのよ」。
コロナ禍の中で、必要だと思っていたことまで生活からそぎ落とし、またそれに慣れてきているせいでしょうか。その言葉が、ふっと日常の何でもない瞬間に思い出されるのです。
その講演会では、私が質問した「妬みと言った感情は捨てにくいが、どうしたらいいか」といった質問にも真摯にお答えいただきました。
「あら、あなた妬ましいなんて思う?私は全然思ったことないの。だって、ほら、分かるでしょ。本当に妬ましい?誰のことが?」
多分、妬ましいと思う相手にも、その人の生活に成り代わってみれば悩みがないなどということはないし、
なにしろ「妬ましいっていうのは、相手に対する執着じゃないのよ。自分への執着なの。」という言葉が印象的でした。
「自分はこんなはずじゃなかったのに」。
そんな気持ちが妬みを引き起こす。
美人で、幸せそうなあの人が「妬ましい。自分だってそうなってもいいはずなのに。」といった具合でしょうか。
私も心の中で、何か捨てるものはないだろうか。毎日、ひとつ。
いらない気持ちを抱えて、それによって苦しんではいないだろうか。
市原悦子さんは、こうおっしゃっていたんですよ。
「だって、捨てないと、新しいものが入ってくるスペースがないじゃない?」
生活様式でも、なんでも。今、何かを我慢したり削ったりばかりだと思っていたけれど、新しい何かを取り入れる、という発想を持つと、随分と目に映る景色も変わってくるかもしれません。