38度の熱を出している娘が、今日弟の足に自分の靴下を履かせようとしてくれた。
発熱で自分が寒いからなのかな、「さむいでしょー」と。娘の成長に、ちょっと泣けるほどグッと来ました。
「きっと相手もそうだろうから」。
そんな発想は、共感力の源です。
もちろん間違ってることもあるでしょう。ですが、全ての人間関係において、いかに相手に共感できるかというのがいわゆる「潤滑油」と言えるんじゃないでしょうか。
例えば、お姑さんとうまくいかないお嫁さん。そんな二人でも、相手に共感できれば不和など一気に解消されます…なーんて。それは分かってても、難しいんですけどね!
では、より共感力を養うにはどんなマインドでいればよいのか。
それは、ゴールを見れば結論も導きやすいものです。
共感のゴールとは、自分が相手に共感できた!などという自己満足ではなく、相手から「気持ちを分かってくれてる」と感じてもらうことです。
意外とこの点を履き違えやすいのではないでしょうか?地震で被災された方の気持ちが分かる、なんて口にする際の偽り、欺瞞に人は敏感です。
義母とお嫁さんという場合でも然り。「お義母さんの気持ち、分かります〜」なんて口にしても空々しいだけ。必要な共感とは「そうなんですね、お義母さんはそういう気持ちなんですね」というスタンスです。
あたかも自分も同じ気持ちだと偽るのではなく、相手が、寂しいなら寂しい、悲しいなら悲しい、嬉しいなら嬉しいという気持ちなんだと「理解して」あげれば、それでパーフェクト。自分も寂しい悲しい嬉しい…と同じ感情を必ず持たなければならないわけではないんですよね。
共感とは、何か。
ゴールを自己満足にしないこと。
娘の純粋な「寄り添う優しさの形」に、学ばせてもらった気がした今日でした。