父の野菜

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寒いことで知られる飛騨地方ですが、春を告げる野菜が育ち始めました。88歳の父が育ててくれる野菜です。

ありがたいことです。子供達にも「じいちゃんの野菜」の味を、ずっと覚えていてほしいな。

昭和6年生まれである父は、激動の日本の変化を生きています。生まれたころの食事は、配給制でした。砂糖などはめったに回ってこないことから、米で作る甘酒が最高のごちそうだった子供時代。そして、戦時中の10代では予科練を経験。第二次世界大戦が終わるまでは戦争が常に身近にあった環境の中で、「畑、田んぼさえ作っておけば生きてはいける」そんな思いが今なお価値観の中に存在し続けている、と言います。もちろん高度経済成長期も、バブル経済も、その後の日本も全て知っている。そんな父には今も頭が上がりません。

尊敬、という気持ち。

私の場合、大学を卒業する時の就職面接でも「尊敬する人物は?」と尋ねられた時の答えは、常に「両親」でした。

「友達親子」という言葉がある通り、今の親子の関係は、すこし「頭が上がらない」といった感覚からは異なっているのが大多数なのではないかと思います。

「あの子はちょっと○○なんだよね」と子供が言えば、

悪口を言うのはどうかといった指摘ではなく、「あぁ、分かる分かる。結構そういうところあるもんね、あの子。」と答えていたりする。

表現が難しく、極論ともとらえられてしまうかもしれませんが、「適当な、何にも考えない相槌は育児放棄の一つと解釈もできる」のではないでしょうか。「母親」という役割を、「父親」という役割を果たしていない。ただ一緒にいればそれでOKというわけではない。

 

じつは、母が他界して以降の父は、私に対する接し方が少し変わりました。要するに、歳を重ねて気が弱くなって、ちょっと弱さを見せるようになった、甘えも見せるようになった、ということ。父が、「父親としての役割」以外の表情を見せた、というのでしょうか。この変化になれないうちは、よくケンカをしました。今やっと、そのケンカの時期が過ぎ、ああ、役割の変化があったのだと客観的に見つめられるようになった次第です。

役割、と書くとちょっと堅苦しいですが、この辺のことはまたゆっくりこのブログにも書きたいと思います。