自分でもびっくりするほど、ここ何日かメンタル・フィジカル共に絶不調でした。
誰しもそんなとき、ありますよね。
なんだか、久しぶりの絶不調っぷりに「あー。もう私ダメ人間。」と、「自己肯定感」も低くなってしまうのが困りもの。
体力の回復とともに、メンタルもちょっと上がってきた感じがしてますが…。
さて、この「自己肯定感」。
自己評価、という言葉でも言い表されるものだと思いますが、人によって高い低いは様々です。
「あなたは自分に自信がありますか?」
この質問に「バッチリあるよ!」と答えられる人は、日本人にはなかなか少ないのではないでしょうか。
ただ、この自己評価というのは常に一定ではありません。
自己評価は自分の周りにいる人と「比較した」場合の評価に過ぎないという見方もできるのです。
このことを示した実験もあるんですよ。
まず、誰もいない部屋で、被験者に「自己評価に関するアンケート」を実施しました。
次に同じ内容を、被験者の目の前にいかにも優秀そうな学生を座らせてアンケートの回答をしてもらったところ、
アンケート結果の内容には前半と後半で大きな差異が生まれた、というものです。
つまり、自分より優秀そうに見える人が目の前にいると、自己評価が下がってしまった、ということ。
同じ人物でも、周りの人間が優秀な場合自己評価は下がり、
周りの人間よりも自分が優秀だと実感する環境の場合は、自己評価が上がる、ということです。
東大卒業生の両親・兄・姉という一家の中で育った弟が、早稲田大学生であることに劣等感を持っている、というのも聞いたことがある話。
偏差値50を『普通』とするなら、早稲田は優越感は持っても劣等感なんて縁遠い大学のはずなのに、です。
こういった、周りの環境にも、また 日々の生活の中では自身の体調のバイオリズムなどによっても、「自己評価」というのは意外によく上下するもの。
周りの環境を、客観的に見通す目を持てば、本来不要なはずの劣等感などは持たずに済むケースも多いはずです。
もし「自分って、ダメだ」と思うようなことがあったら、
「果たしてそれは、何と比べて『ダメ』なのか?」この自問をするだけで随分と気が楽になることがあるはずです。
時には、「よく出来すぎる家族と比べて」だったり、
「上司から気に入られている同僚と比べて」だったり、
はたまた「自分の理想像と比べて」ということも往々にしてあるでしょう。
家族は確かに、最初に自分の判断基準を形成するうえで欠かせなかった存在でしょうが、もはや大人になって以降も「家族」を基準にするのはナンセンス。
上司から気に入られている同僚といった、会社内での微妙なバランス感については、上司も人間だから、好きな部下嫌いな部下がいて『当然』なのです。だからこそ、「たまたま相性が悪かった」ということだってある、と思えば気が楽。
自分の理想像と比べて、というのが一番厄介かもしれませんね。自分に厳しい人間は、損しかしませんよ。
「まぁいっか」と思った方が、人生得をします。笑
私も最近それを学びました。だからこそ言いたい。「厳しすぎる理想を、自分に当てはめないで!」。
なんとなくでも、覚えていていただけたら嬉しいです。
「自分って駄目だ」そう思った時は、
「何と比べて『ダメ』なのか?」そんな自問をしてみることを。
その「比較対象」が、逆説的にあなたの『限界』を生み出してしまっている障壁であることがあるから。