芍薬の花、その2。

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芍薬の花を見ると、不安な気持ちになります。

えっ、後悔じゃないの?

そうなんです。後悔もするんですが、前回のブログに書いたように、母が他界した年の芍薬に特別な思いがあるからでしょうか。芍薬がきれいに咲いた年には予期せぬ悲しいことが起こるんじゃないか、という気持ちになるんです。どれだけ飛躍して考えるのよ!という突っ込みをされそうですが笑!

父が88歳と高齢で、毎年毎年、老いの変化を側で感じています。すると、いつか父も天寿を全うするという当たり前のことが、差し迫って身近に不安となって押し寄せてくるんですね。

以前、このシュチュエーションでこうなったから、同じシュチュエーションの今、また同じことが起こるんじゃないか説!以前シャクヤクがきれいに咲いた年に母の死という悲しいことが起こったから、今年きれいに咲いたシャクヤクを見て、なんだか不安になってしまったんです。

不安。心理学辞典でいうと、不安というのは「自己価値を脅かすような破局や危機の漠然とした予感」。そう!「漠然と」なんですね!!

だからこそ、そこに解決のヒントも眠っています。

事実認識をし、「漠然と」を取り払っていく。

当たり前ですが、シャクヤクの花は全国いたるところで美しく咲いています。うちの庭だけきれいで悲劇が起こる、ということはない。

そして、何よりの事実は、「不安になったところで、事実は変化しない」という現実そのものです。笑

 

雨が降るかなぁ?と、心配しようがしなかろうが、降るときは降る。

そして、濡れるのが嫌だったら傘を持っていけばいい。傘を持っていくのが面倒なら、降ったら濡れても構わないくらいの軽い気持ちで持っていかなければいい。

聖書には、明日のことは思い煩うな、という言葉があるそうですね。その通り!明日を思っても、患っては本末転倒。

事実が、時に安心する薬になってくれます。

シャクヤクがきれいかどうかは、栽培条件に左右されるだけ。ほら、事実認識したら私も気が少し楽になってきましたよ。