聞きたい言葉を人は聞く。

「現状での統計によると、オミクロン株は重症化しにくい。」

このことから、「オミクロン株はただの風邪だから怖がる必要はない。」はたまた「感染力が強く、アルコール消毒も効力を発揮しないらしいから、厳重によりいっそう警戒すべきだ。」などなど、いろんな意見が飛び交っていますよね。

3回目のワクチン接種についても「必要だ」「副反応のほうが重篤だから必要ではない」と賛否両論。

11歳以下の接種についても同様です。

事実はただ、「オミクロン株の感染力は強い。一方で、重症化しにくい傾向にある」ということだけ。

自分の意見を持つのは大切ですが、SNSでも真逆の意見があちこちで溢れかえり、そのたびにコメント欄では同意見の人たちが同意を示しあう。

それがどうも、私は苦手だったりします。

同じSNSの画面上で、本来反対の意見であるA意見とB意見が、それぞれ全く交差することなく、交わらず、バラバラに「だよねー、そうだよね。それしかないよね。」とどんどん育っていっているイメージ。

なんだか違和感があるんです。

「意見」と「事実」は違う。

当たり前のことなんですが、どうもボーダーラインがあやふやになってしまいがちなのが、このコロナ禍に対する事象です。

人は、自分が聞きたい言葉に耳を傾けがち。

時には敢えて、自分の意見にこそ反駁することも、より自分らしい意見を持つために有効だと思うのですが、いかがでしょう。

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